二人目の住人
吉村が売却した新宿ホワイトハウスに、二人目の住人が現れます。画家の宮田晨哉さんです。彼はネオ・ダダとは関係ないそうです(当ブログ筆者が3人目の住人に伺いました)。宮田さんは武蔵野美術大学で教授をされていたそうで、破滅的ネオ・ダダの連中とは対照的なかただったのでしょうか、その後新宿ホワイトハウスは長らく宮田さんの住居となりました(ちなみに、宮田さんのお父様は、医師で画家の宮田重雄さんだそうです)。宮田さんは2009年にお亡くなりになったそうです。
2009年、ここからはインターネットとSNSが登場します。参照資料は具体性を帯びていきます。
三人目の住人
2012年、ある女性が仕事を辞め、さて次に何をしようか、と考えていた。彼女は知り合いが「面白い家」を相続し、どうしようか悩んでいる、という話を聞く。面白がって見に行ったところ、その家が「新宿ホワイトハウス」であることを彼女は知る。
建物はだいぶ状態が悪かったようだが(なにしろ50年以上前に吉村が自力で建てたのだから)、偶然にも過去に赤瀬川原平の路上観察を取材したことがあった彼女は、その建物の価値を察知し、ここを誰もが入ることができるカフェにすることを決意した。
彼女こそが三人目の住人(住んだわけではないので住人というよりは店主である)、ここでは仮にママさんと呼ぶ。ママさんは家の状態をなるべく残すようにしながらカフェとして改築し、2013年4月12日、カフェアリエはオープンする。
この辺の経緯や、ママさんについては Tokyo Loco magazine というサイトがママさんに丁寧なインタビューをしているので、ご覧いただきたいです。歴史的価値のあるインタビューです。
ママさんは以前の職場で「カワサキ・ティーンズ・プロジェクト」というイベントを開催していた。出演者とスタッフは10代の少年少女で、そこにゲストミュージシャンが加わった音楽イベントだ。ゲストミュージシャンの名前を見ればわかるように、ママさんは目利きである。
だからカフェアリエでも、ときどき音楽イベントが開催された。
宮田晨哉の絵の下で歌う土井玄臣。いい~
ママさんは
- 新宿ホワイトハウスを誰もが中に入れるカフェとして運営した
- そこで魅力的なイベントを行った
そして、ママさんの功績はそれだけではない。彼女はここで
- どついたるねんのメンバーを店員として雇った
のである。
続く・・・