a_maga_l / Can’t Sleep リリース

a_maga_lの新曲をリリースしました。

各種サブスクはこちら

bandcampはこちら
bandcampには歌詞カードがつきます。
At bandcamp, You can get lyrics pdf with English translation.

Can’t Sleep
Written and Produced by a_maga_l
Mixed by 岡田靖 OKADAYASUSHI
Masterd by KIMKEN STUDIO

HASAMI groupのホームページから検証される何か

HASAMI groupという音楽グループがいます。とても魅力的な曲をたくさんつくっています。

彼らには「Internet Lovers」「インターネット向きすぎ君」というタイトルの楽曲があり、また、彼らのYouTubeのチャンネルには「YouTubeベストビデオ100」というYouTube上に無数にある動画の中から「素晴らしい」ものを100個選定して紡いだ、恐らくは大変な労力を割いて作られたと思われるMIX動画が複数個ある(2021年現在9個ある)。これらのことから推測されるように、彼らは大変にインターネットが好きなようだ。

インターネットを好いている音楽家が、自身のホームページをどのように作っているのか気になり、見てみた。果たしてそれは大変興味深いホームページであった。このホームページを詳細に調べることで、何事かに触れることになるかもしれない、ひょっとするとアウトサイダーアートが発生した瞬間を発見することになるかもしれない、そんな予感を抱き、私は解析を始めた。

続きを読む

新宿ホワイトハウスをめぐる冒険(6)

四人目の住人

2020年9月現在、美術チームChim↑Pomが新宿ホワイトハウスを拠点にしているという情報を得た。

参照:neol.jp 街とアート特集:「世界は繋がってるから影響しあっていて、現代アートはそのマッピングのきっかけになる」エリイ(Chim↑Pom) & 和田彩花 インタビュー

写真に写っているのはあの新宿ホワイトハウスの階段のようだ。

彼らのオフィシャルホームページを見ると「Studio : 《新宿ホワイトハウス》」と記載されていた。住所も間違いない。あのホワイトハウスだ。いったいいつからだろう。

続きを読む

Moe and ghostsに何度も驚く

「女のラップってなんか物足りないよね」という無知な者にはMoe and ghostsの「幽霊たち」を聞かせれば話は済む。幽霊たちはそのくらいに決定的なアルバムだ。

幽霊たちは2012年の8月に発売された。何年か経って聞くたびに、やっぱいいな、と驚くことになる。

Moe and ghostsはラッパーの萌さんとトラックメイカーのユージーン・カイムさんの二人のユニットらしい。二人なのにユージーン・カイムさんは「and ghosts」に集約されていいのだろうか。また、なぜ「ghosts」と複数形なのだろうか。サンプリングした全ての音楽家たちを含む、という心意気なのだろうか。

インタビューではトラック制作について

本格的に曲を作ったのは今回がはじめてです。

ユージーン・カイム ototoyのインタビュー

と語っている。はじめてでこんな音を作れるのだろうか。楽器が弾ける人という気がする。全曲でベースが非常に効いているので、そう思われる。スネアの音が特徴的で、上物はサンプリングが主体だが、ビートは自分で組んでいると思われる。後にベースを足しているのではないだろうか。

ユージーン・カイムさんというのは萌さんの「友人・向井さん」なのだろうか。「向井ユウジさん」なのだろうか。あるいは萌さんは「友人・皆無」つまりトラックメイカーはそもそも存在せず、萌さんがトラックも作っている一人のプロジェクトなのだろうか。そうだとしたら「and ghosts」というアーティスト名もしっくりくる。萌さんのラップはどこか知性とパラノイアが混ざったような印象を受け、淡々としながら畳みかける歌い方もあいまって「友人・皆無」であっても不思議ではないような気もする。

続きを読む

志人の音源紹介

何点か買い逃したものもありますが、志人の音源はほぼコンプしているので、ご紹介いたします。量が多いので、ぼちぼち更新していきます。入手困難品が多いと思いますが、興味を持たれたかたは何とかして手に入れていただければと・・・

アヤワスカEP

2005年10月発売。「アヤワスカ」はこの12インチにのみ収録されている。志人の作品の中で、最も手に入れづらいものの一つだろう。ラップは志人のみ。トラックはonimasのみ。降神の「望」とHeaven’s 恋文の間で零れ落ちた曲、という印象。曲自体がまさにそのように二つに分かれている。

続きを読む

会田誠が買ってきたコロッケ VS 平野レミのレシピ

会田誠は一般家庭でコロッケが調理されることに疑問を持っている。

コロッケ、僕も家で食いたいと思わない。炭水化物のじゃがいも、オカズ力ないし。油すぐ傷むし、少量油でやると「それなり」になっちゃうし、揚げ物自体が少人数家族には向いてない。商店街のコロッケやメンチ買って歩き食いが一番。

会田誠のtwitter 2018.06.14

僕は外でステーキを食う人の気がしれない(外国滞在中は除く)のと同時に、家でコロッケや餃子を作る人の気もしれない(大家族は除く)。自分で作って自分で食う/家族に食べさせるといったことに特段の喜びを感じず、ただ淡々と家事労働と食費のコスパを計算すればそうなる。

会田誠のtwitter 2020.01.22

2018年の記述と2020年の記述、どちらにも「少人数家庭には向いていない」「大家族は除く」という注釈があることに注目したい。「買って歩き食いが一番」と書いていることから、食べ物として味を否定しているわけではないことがわかる。会田誠が提示しているのは、

4~5人家族で一度にコロッケを作る量は多くても20個くらいであろう、そのために1時間くらいかけて、タネをゆでたり炒めたりする→形を形成する→小麦粉、溶き卵、パン粉をまぶす→揚げる、それだけ手間暇かけて作ったものが果たして肉屋のコロッケより安く・おいしいのだろうか?

という疑問だと思う。

「お母さんが作ったコロッケはおいしい」という存在しない幻想によって、多くの人が不幸になっているのではないだろうか。

続きを読む

その映像にもう一度こだわってみよう

その映像、通称 -老人の呪いのビデオ- にもう一度こだわってみよう。
その映像のずれは、その他のずれと呼応しているはずだから。


問題点は、緊急時にその老人がくつろいでいる姿が不快である、ということではないと思う。こんなときは努力している姿をアピールすべき、という意見も頷きかねる。


問題点は、カメラ目線で歌う青年の映像の右側に、アイドル(若しくはポルノ女優)のように映された老人の映像が取り付けられた、映像自体の異様さと、それを公開すべきと判断した者の感性・自己批判の欠如にあると思う。


まず一つ目のシーン、ここでは老人が犬を抱いている姿が映っている。これはまだ見れる。犬は美しいからだ。老人と犬という組み合わせも悪くない。なぜカメラ目線で歌う青年の映像の右側にその映像をくっつけるのか、という根本的な疑問はあるが、見れるか見れないかでいうと、見れる。


問題は二つ目のシーンだ。ここでは足を組んだ老人が紅茶をすすっている姿が映っている。これがきつい。こんなものを誰が見たいと思うのだろうか。


その映像、通称 -老人の呪いのビデオ- は印象操作のために撮影されたのではないか、と感じる人がいるらしい。曰く、その老人が「ポップである」「大衆文化に溶け込めるお茶目さがある」という印象操作を狙ったのではないか、と。
しかし、この二つ目のシーンを見てどうだろう。そのような印象を持つものがいるのだろうか。


ここで撮影者の気持ちになってみよう。


テーマは印象操作で、その老人は紅茶をすする。
その老人の組織に所属する別の老人が、その老人に向かってカメラを向ける。
その老人は二口紅茶をすすり、宙を眺め、もう一口すする。時間にして約15秒。
無理だ。15秒撮影を続けることなんて、できるわけがない。


撮影者である老人が、その老人が紅茶をすする15秒の間、何の疑問も持たずにカメラを回し続けられるわけがない。撮影したとしても、編集の段階で切らざるをえない。だって、端的に醜いのだから。
この撮影は、その老人になんらかの好意を持っている人物によってされたのではないだろうか。


具体的には、その正体は、その老人の配偶者ではないだろうか。


「紅茶をすする素敵なあなたの映像を見れば、視聴者は穏やかな気分になるのではないだろうか、私がそうであるように」
そんな視線を、カメラをその老人に向けたものの視線を、その映像は感じさせる。


その映像、通称 -老人の呪いのビデオ- は、組織による印象操作ではなく、ひょっとして配偶者の、その配偶者からすれば「善意」で企画・撮影・編集されたのではないだろうか。


その善意は、他者からすると狂気だったのではないだろうか。


もしそうなら、あの艶めかしさ(その老人が艶めかしいわけでは、もちろんない。その老人の何気ない日常を56秒眺める視点が艶めかしいのだ)、映像の異様さに合点がいく。


誰かの好意が誰かを傷つけることなんてあるのだろうか。


あるはずだ。それは、彼が、彼女がこの7年の間に見たニュースに、とても似ている。

その映像にもっとこだわってみよう

その映像にもっとこだわってみよう。


その映像を作った監督は誰なのか。
その、画面の左で青年が歌っていて、画面の右で老人がくつろいでいる4つのシーンがつなげられた、56秒のその映像を。


何か読み取るべきメッセージなり意味なりがあるのだろうか。
例えば老人の4つのシーンが既存の四字熟語に対応しているとしたら、映像を見ているものは腑に落ちるだろう。なんだ、古典へのオマージュか、と。例えば、起承転結とか、晴耕雨読とか(それでもその左側に青年が歌っている映像がつけられる意味はわからないのだが)。


老人の4つのシーンの要点をまとめてみよう。
1.動物との触れ合い
2.茶の文化
3.読書
4.映像の視聴


浅学のためか、私はこれにふさわしい四字熟語、ことわざを知らない。
その映像に呼応する、どんな古典も知らない。


何かのオマージュだとしたら、まっさきに連想されるのはポルノだろう。
ポルノには、その主な目的の映像の前に、ポルノ女優のふとしたしぐさなどをつなげた映像にバックグラウンドミュージックをつけた、イメージカットと呼ばれるイントロダクションが、ままある。


その映像に対して怒りを覚えた人の中には、こういう連想をした人が多いのではないだろうか。
さわやかな日曜日の朝に、唐突に老人のポルノ映像を見せつけられたかのような、そんな怒りがあったはずだ。


もう一つ連想するのは、リングという日本のホラー映画にでてくる「呪いのビデオ」だ。あのビデオには、
1.鏡の前で髪を梳かす女
2.文字がうごめく新聞記事
3.這いつくばっている複数の人
4.何かを指さしている、顔の隠れた人物
がでてくる。
何の関係もないように思えるが、つなげられた映像の「意味の分からなさ」と「その先になにが起こるのかわからない不気味さ」という点で、その映像ととても似ている。


まさか57秒目にその老人がスマートフォンの中から出てくるとか?
バカバカしい。

その映像

その映像は左右で二つに分かれている。
左側には、ギターを弾きながら歌っている青年が映っている。
青年はカメラを見ながら歌っているので、映像を見るものは青年と目が合うことになる。
右側には犬を抱いている老人が映っている。老人は緑色のソファーに足を組んで座っている。
映像を見ているものには、青年と老人の関係はわからない。


左側の映像は切り替わることなく、一つのカメラで撮られた映像が続く。
青年は歌い続ける。歌は「室内で踊ろう、室内で歌おう、それぞれが室内にいても、誰かと心を通じさせることはできるかもしれない」という内容の詩でできている。これは2020年に蔓延した疫病を示唆している。


右側の映像は切り替わり、今度は老人がマグカップで紅茶(コーヒーかもしれない)をすすっている様子が映っている。
映像の切り替わりにはフェードイン・フェードアウトという手法が使われている。
ソファーは先ほどと同じ緑色のソファーだ。老人はやはり足を組んで座っている。先ほどとはカメラの角度が変わっている。
老人は二口紅茶をすすると、宙を眺める。紅茶を味わっているのかもしれないし、過去に思いをはせているのかもしれない。
一呼吸おいて老人はもう一度紅茶をゆっくりとすする。紅茶は熱いのかもしれない。


右側の映像はまた切り替わる。今度は老人は本を読んでいる。もちろん緑色のソファーで、足を組みながら。
カメラの角度は犬を抱いていた時に戻っている(厳密には、少し右にずれている)。老人は組んだ足に本を乗せている。
だから映像を見ているものには本のタイトルはわからない。
老人は眼鏡をかけていない。目がいいのかもしれない。コンタクトレンズを使っているのかもしれない。実際には本は読んでいないのかもしれない。


右側の映像は最後のシーンに切り替わる。ここでは老人は緑色のソファーではなく、ダイニングの椅子に座っている。映像の左下にはテーブルが見切れている。テーブルにはマグカップが乗っている。二つ前のシーンに登場したマグカップらしい。マグカップに入っている液体は、コーヒーにしては色が薄いように見える。だからやはりあのとき老人が飲んでいたのは紅茶と思われる。


テーブルが邪魔で、老人が足を組んでいるのか正確にはわからない。だが、組んでいるように見える。組んでいるとしたらソファーのときとは逆で、左足を右足の上に乗せていることになる。
老人は太ももの上に両手を置いている。右手にはテレビのリモコンを持っている。老人はテレビを見ているようだ(映画かもしれない)。老人はリモコンを持ったまま右手をテレビがあると思われる方向に伸ばし、何かのボタンを押して再び太ももの上に手を置く。そして何事かを口にし(その映像の音は左側の青年の歌だけが出力されていて、老人が何を言っているのかは見ているものにはわからない)、老人はもう一度リモコンを持った右手をテレビがあるらしき高さまで上げて、何かのボタンを押す。
56秒の映像はここで終わる。


映像を見たものはある違和感を抱くことになる。この歌っている青年と、老人がくつろいでいる4つのシーンには何の関係があるのだろう、と。


その日は日曜日の朝だった。Velevet Undergroundが歌った日曜日の朝だ。
4月になり、もう冬の寒さは過ぎ去った。もっと晴れていればよかったけど、それでも充分気持ちのいい朝だ。夜には雨が降るらしい。
あのSunday Morningだ。


その時代、人々はデバイスに現れる映像を眺めるのが日課となっていた。
そして世界中で件の疫病が萬栄していた。
だからその時期に現れる映像は、疫病に関するものがほとんどだった。


壮絶な医療現場、トイレットペーパーが売り切れたスーパーマーケット、仕事がなくなった人々。
でも悲惨な映像だけじゃない。


キャリアウーマンのオンライン会議中に画面に現れる下着姿の亭主、いつもより飼い主と長く触れ合えることを喜ぶ犬、ファーストフード店が閉店することを、まるでヒーローが殺されてしまったかのように嘆く女の子(かわいいし、おもしろかった)。


その気持ちのいい日曜日の朝、彼は、彼女は目を覚まし、いつものようにデバイスの電源を立ち上げた。

しかしその日にデバイスに現れた映像は、これまで見たどんな映像とも違っていた。


左側で青年が歌っていて、右側で老人がくつろいでいる。


それは彼の、彼女の目にはあまりにもグロテスクに映った。
それは、一つの体に二つの頭がついた魚の写真を彷彿とさせた。
映像に奇形があるなんて、それまで彼は、彼女は知らなかった。
映像に奇形があるということは、感性や想像力に奇形があるということなのだろうか。それに形なんてないはずなのに。


存在するはずがない映像は、しかし彼の、彼女の寝室に突如現れた。


このようにしてSunday Morningは更新された。

a_maga_l / 貧すれば鈍す(Guitar: Michael Kaneko)

origami Home Sessionsの音源を使ってラップしました。

貧すれば鈍す(Guitar: Michael Kaneko)という曲です。
この曲はorigami Home SessionsのMichael Kanekoさんのギターを使用しています。