父ちゃんとじいちゃん
七尾旅人の「ぼくらのひかり」という歌があります。音源としては2016年発売の「兵士A」というDVD作品に収録されています。ライブでこの歌が披露されたのはもっと前で、2012年~13年くらいだったかと思います(この時期について、はっきりとした確証はありません)。核で焼かれた国、その国が原子力で発電すること、原発で働いた「父ちゃん」、2011年にその村を津波が襲ったことが描かれた歌です。
歌の中で「父ちゃん」は、1950年に炭鉱夫をしています。しかし石油の影響で炭鉱の村は廃れていきます。「父ちゃん」は不吉な咳をしていますが、この頃家族には共通の夢がありました。
この村で 家族いっしょのまま 幸せになるんだと
ぼくらのひかり
1960年、行き詰ったその村に原子力発電所ができます。「父ちゃん」はそこで働きます。1964年の東京オリンピック、1970年の大阪万博を経て、歌の主人公は「希望」を感じます。
この小さな村の 小さなひかりが
日本中を照らし 世界の未来を照らす 大きなひかりに
ぼくらのひかり
歌が1982年に進むと、主人公には子供ができています。この時点で主人公はまだ希望を持っています。
日本はどこまで登ってゆくだろうか
ぼくらのひかり
1989年になると主人公は「父ちゃん」を「父ちゃん」ではなく「親父」と呼ぶようになっています。このとき、東京の地価が5倍になったと聞くのに、主人公の村にはそれは無縁のことで、そのことに主人公は違和感を感じます。主人公の希望に影が差していきます。
1991年に「親父」は死に、主人公の子供たちは村を離れていきます。家族が離れていき、主人公は自分の価値観に疑問を持ちます。
ぼくたちのひかりは にせの ひかりか
ぼくらのひかり
その村を2011年、津波が襲い、歌は終わります。
私はこの歌を聞いて、「父ちゃん」世代の価値観・世界観が崩れていくのを主人公が描写しているように感じました。
一方、じいちゃん
志人は2016年「杣道」(読み:そまどう)という曲をリリースしました。この曲は「木こり」である歌の主人公が、山で木を切ること、家族と生きていくこと、自分の中の火を燃やし続けることを14分ラップしたおす、という壮絶な歌です。
ラップの中に「じいちゃん」が何度か出てきます。
肌身離さずに携えた叩きの鉈はじいちゃんの形見
杣道
枝この隅まで炭にしたろうか
じいちゃんがわしの心の中で歳を取らずいつまでも生きているようにさ
杣道
ラップの人称は常に歌の主人公の目線なのですが、文体は2つに分かれています。
一つは、一人称が「わし」で、語尾が方言になる文体。
「~じゃ」「~ってもんよ」
もう一つは、方言なしの現代語の文体です。
「何年経ってもお前は成長しねーな」
文体が二つあることで、「わし」を名乗るほうのラップが、歌の主人公の哲学なのか、心の中で生きている「じいちゃん」の価値観・世界観がそれを言わせているのか、いろいろなふうに受け取れます。
私は、曲を聞いていて「じいちゃん」の価値観を受け継いだ主人公が、強靭に前向きに進んでいく印象を受けました。
「ぼくらのひかり」の父ちゃんと、「杣道」のじいちゃんは同じ世代
「ぼくらのひかり」の父ちゃんは、詩に西暦が指定されているので、どの年代の人なのか明らかです。「杣道」のじいちゃんは「何年経ってもお前は成長しねーな」という現代語を使う世代の「じいちゃん」にあたるわけですから、「父ちゃん」と「じいちゃん」が同じ世代であることがわかります。
七尾旅人はその価値観が崩れていくさまを描き、志人はその価値観を受け継いで前向きにとらえています。
二人の偉大な歌手が、同じ時期に同じモチーフを選び、全く違う表現をしており、そのどちらも最高です。同時期、二人はもう一つ同じモチーフで作品を作っているのですが、今度書きます。
志人の杣道について
杣道は限定発売で、現在入手不可です。私は当然ゲットし、愛聴しているからいいのですが、これだけの内容の作品、ヘッズたちが飢えておりますので、Temple ATS様、再発売してあげてくださいー。