この本は、2007年発売の、村上龍の買い物にまつわるエッセー集です。村上龍の本といえばどれも、つけ入るスキがない、という印象が強いですが、このエッセーには弱さや失敗なども素直につづられていて、とてもかわいらしいです。
サッカーの中田英寿選手がきっかけでイタリアのシャツに目覚めた話がメインのエピソードなのですが、それまでファッションに興味がなかったことや
十五年ほど前にやっていたテレビのトーク番組ではイタリアのスーツを着ていたが、それも、アルマーニだったら何とかごまかせるだろうといういい加減な理由によるものだった。
案外、買い物好き「イタリアでのお買い物」
過去の映画監督作の興業がふるわなかった話もさらっと出てきます。
「だいじょうぶマイ・フレンド」という大コケした映画の撮影でLAに行ったときに、
案外、買い物好き「イタリアでのお買い物」
ネクタイについて
十代の終わりはヒッピーだったので、ネクタイなんかしている人間は全員頭がおかしいのだと思っていた
案外、買い物好き「ネクタイとシャツのシミュレーション」
でも今では、
シャツのネクタイを合わせてみて、次にスーツと合わせてみる。そういうわたしを、「こいつ何してるんだ、バカじゃないのか」というような表情で、猫が見ていたりするが、お前にはわからないだろうな、とわたしは呟いて
案外、買い物好き「ネクタイとシャツのシミュレーション」
昔の村上龍と猫と現在の龍の対比がいいー。ていうか家に猫いるんだ。
龍の下着事情も話に出てきます。
ある理由で、三十代になってから、ブリーフを止めてトランクスにした。
案外、買い物好き「着心地のいい下着」
りゅ、龍?それ書く必要ある?
村上龍といえば、とんでもない金持ち、というイメージを持っていましたが、あまりに買いすぎて支払額に狼狽えたときの記述もでてきます。
大好きなシャツ屋の女主人に向かって、「ぼってないよね?」と聞くわけにもいかず、震える手でクレジットカードを出して支払ったが、ホテルに戻る足取りは重かった。
ホテルの部屋に戻って、何度も請求書を見て、一桁間違っているわけではないと確かめては溜息をついた。
案外、買い物好き「唯一無比のTシャツ」
意外~
食べ物の記述もでてきます。ヨーロッパのドライブインで、
ドライブインで売っているサラミは何というか、日本で言えばそば屋のカレーのような感じで、味が下世話で、おいしかった。
案外、買い物好き「ドライブインのサラミ」
こういう記述いい~
シャツの話から派生して、別荘での執筆中の服装の話も出てきます。
ショートパンツとロスのホテルのロゴ入りのTシャツを着てこの原稿を書いている
案外、買い物好き「ショートパンツとTシャツとゴムぞうり」
意外~。村上春樹だとその恰好を想像できるけど、龍だとできない~
また、執筆が佳境にさしかかった際に近所に食料を買いに行くときの話は衝撃です。
店内の鏡に映った自分の姿を見て、愕然とする。セーターには穴が開いていて、無精ひげが伸びていて、頬はこけ、消耗した顔の中で目がらんらんと輝いている。(中略)
こんな男が向こうから来たらおれだって逃げる
案外、買い物好き「穴が空いているセーター」
すれ違ったおばさんたちが、キャッと避けていくそうです。意外すぎ~。あのビチッとスーツをきめた龍のパブリックイメージはどこへ?
龍の自身の体型へのコンプレックスめいた記述もでてきます。
プールに通ったのでウエストが七、八センチ締まり、イタリアでパンツを買う勇気が持てるようになった。
以前は(中略)店員の表情が気になって買う気力が失せていたのだ。こんな大きなウエスト&短い足でこんなに洗練されたイタリアン・ラインのパンツをはいて欲しくない、店員の目はそういうことを暗示しているような感じがした。
案外、買い物好き「イタリアのパンツとシャツと『クールビズ』」
龍~、そんなふうに思っていたのか。
龍と他人との接し方がでてくるエピソードもあります。
シャツを買いまくったものの人前で披露する機会がなかったのだが、テレビ番組「カンブリア宮殿」に出演が決まって、スタイリストが用意してくれた衣装ではなく自前のシャツを着たい、と伝えるエピソードなど最高です。
スタイリストは上品で素敵な雰囲気の漂う女性で、言い出しにくかった。でもわたしは意を決して、自前のシャツを着たいんですが、と申し出て
案外、買い物好き「気になり始めたホテル・スパ」
そう、龍は気遣いの人なのだ。
他に、奥様とのエピソードも出てきます(珍しい!)。
圧巻は、ステッキ(杖)のエピソードです。龍が、こんなステッキが欲しい、ステッキにはこんなファッションがあうだろう、とつづっている話なのですが、ファンの私ですらマジでどうでもいいです。でも、そんな話を書いてる龍が愛おしい~
最後に、デビュー作が芥川賞をとってミリオンセラーになったとき、初めてした買い物の話が出てきます。
あまりの大金でどうすればいいのかわからずわたしは茫然としていた。それまでは、月末になるとまったく金がなくなり、仕送りが届いたらカツ丼を食べようとか、そういうささやかな希望をつないで生きてきたのだ。
案外、買い物好き「初めての買い物」
このエピソードは必見です。
デビュー作が最高峰の賞をとって、以降も力強い作品とヒット作を作り続けており、著者自体のストーリーが神格化されがちな村上龍だが、このエッセーではかわいらしい面が頻繁にでてきます。案外、これが村上龍の本質なのかもしれません。なにしろ「69」の高校生がスタート地点なのだから。