長谷川白紙の草木の詩を味わう

長谷川白紙(以下ぱゅ)の草木の詩をじっくりと読んでみました。ブログ筆者の妄想が多分に含まれるので、間違っている部分があると思います。

羊裘まとい釣るときは

草木

この部分は、「羊裘垂釣(読み:ようきゅうすいちょう)」という四字熟語を現代語に訳しているようです。この言葉は、羊の衣を着て釣りをしている人→世間から離れた隠者を意味するようです。この国ではあまり一般的ではない四字熟語です。いきなり難しいー

泡にも 耳 耳 澄まして

空気に投げ歌う線は

草木

「泡」に対して「耳 澄まして」いる。「泡」は歌の後半にも出てくる言葉で、どうも音を視覚化したイメージのようです。

続いて出てくる「歌う線」という言葉は、五線譜、もしくは音符の記号を連想させます。

ここで、最初の「羊裘をまとって釣りをしていた(=隠者)」人物が、ぱゅであることが連想されます。外の世界と離れて、泡に(紡がれる音に)耳を澄まして、音符を探るぱゅ。

熱は箔を

丸めていく

草木

この歌には、この後も「熱」が「金属」「体」を変形させるイメージがたびたび出てきます。これは、ぱゅが自分の創作(音)に対して持っているイメージなのかもしれません。

眠るような嵐から

編めるまで読み切るのだ

草木

「読み切る」というのが楽譜をイメージさせます。「書く」ではなく「編む」という言葉を使っていることから、ぱゅ自体が楽譜をコントロールしていないような印象を受けます。「嵐」という言葉がその印象をより強めます。

温度が耳を繰るまで

目の裏

埋める泡のリズム

草木

ここで「温度」が「耳」を変形させるイメージ、音を視覚化した「泡」のイメージがでて、曲はトランペットソロに突入します(これがまたいいー)。

焼き付けて

すべて均してみせよう

たわみ曲がる

草木

「熱」が「金属らしきもの」を変形させるイメージがまた出てきますが、「均す」と言ったすぐ後に「たわみ曲がる」という言葉が出てきます。「熱」が「形」に与える影響は複雑なようです。コントロールできない「嵐」を思い出します。

霞散らし遠のく円相

願うは草木萌動

草木

「霞」のイメージがわかりませんでした。ひょっとして着物の模様のこと?私には、ぱゅの膨大なボキャブラリーを知る術がないのですが、その中には「中国古典」と「オタク文化」と「ファッション」があるようです(これはブログ筆者の推測であり、まったく確証はありません)。あるいは風景に記号が出現するvaporwaveみたいな映像?

「霞」はわかりませんでしたが「遠のく円相」と続くので、記号・模様の人工的イメージが、次の瞬間「草木萌動」生々しい草木に(メロディーによって)変わるような印象を受けました。

「草木萌動(読み:そうもくほうどう)」とは、古代中国の季節の分け方「七十二候(しちじゅうにこう)」のうちの一つで、今でいう三月一日から三月五日を指すそうです。

ですが、歌の中ではその季節を指すのではなく、文字のまま「草木」が「萌え動る」視覚的イメージを喚起しているのではないでしょうか。特に「萌」という言葉が、古代中国と現在のこの国ではまったく違う意味があることを、あのアルバムジャケットを選んだぱゅが意識的でなかったとはとても思えない。

「草木」は、ぱゅのCDデビュー作の一曲目であり、この詩は音楽家としてのアティチュード+この曲自体の視覚的イメージを表現しているのではないか、と思いました。

でも全然違うのかも。わかんねー。わかんねーけどいいー